エッセイ:三十路前の放浪記(1)
再出発
退職日の翌朝は妙な気分だった。
私は、いつもよりわざと遅く起きた。
「さ、今日から再出発だ。」
必要なものをまとめ、図書館へ出かけた。
私の退職は7月中旬。大学院の試験は秋と冬にあり、私は焦点を冬に絞っていた。この半年間でどこまで仕上げられるかに全てはかかっている。
しかし、勇んで始めたものの、勉強は決して順調ではなかった。
これまでは休日が来る度に解放感があった。寸分も無駄にせず勉強に注ぐことができた。
しかし会社を辞めた今、何かある度に、見えない不安と戦う悪循環に陥ってしまっていた。
社会的基盤を失った不安、大学院を落ちるのではないかという恐怖、これでいいのかという迷い…
文字通り、「背水の陣」だった。
今の私にできることは、この不安と戦いながら、目の前の勉強をこなしていくことだけだ。
◆
夢をみた。
公衆電話から、電話をかけていた。
どこに電話しても誰とも繋がらなかった。
電話ボックスを変えてみても、同じだった。
何度、何度電話しても、誰も出なかった。
どんな仕事であれ、何かをすれば誰かから反応がある。
それは、社会と繋がれているという証拠だ。
代わりなど幾らでもいる−それが社会の現実だとしても、
今、この場において、この仕事をこなす人物は私以外にない。
それが、生を支える重要な事実だということを、私は噛みしめていた。
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