エッセイ:三十路前の放浪記(2)

    初めての職安


    社会と繋がりを失くした私の不安は、次第にエスカレートしていった。
    食事が喉を通らず、みるみる体重が減った。

    もし、このまま大学院に入れなかったら…
    もし、このまま仕事に就けなかったら…
    もし、このまま大病に襲われたら…
    もし、このまま死んでしまったら…
    もし、このまま…
    もし…

    要らぬ押し問答ばかりを繰り返していた。

    ◆


    そうこうしているうちに、職業安定所(職安)に行く最初の日がきた。
    失業保険をもらうため、すっかり疲れきった心と身体で私は向かう。

    建物の中身は、どこか学習塾みたいだった。

    周囲を見渡す。
    皆、職がなく、職を探している人ばかりだ。
    明らかに年配の人もいた。会社が潰れたんだろうか。それとも、会社を経営していて、借金難に陥ったんだろうか。
    家族はいるんだろう。明日、飯を食う金に困る人もいるんだろう。
    そんな集団のなかに、ぽつんと自分がいた。

    講習を受け終わると、就職斡旋のための個人面接がある。
    あらかじめ、どんな仕事を希望するかを記入する書類があって、私は「心理・教育職」と書いて提出した。事実そうだったし、そういう仕事には該当先がないのを知ってのことだ。

    担当者は、中年の女性だった。

    「こういう仕事、求人ないんですよね。」
    「そうですか。」
    「どうですか、以前の仕事の延長では…」
    「それでは会社を辞めた意味がないですから。」

    私は素直に言った。

    「ええと、前の仕事は…あら、いい所に勤めてたのにね…ずっと機械相手で嫌になっちゃった?」
    「朝から、晩までですから。」

    担当者は、私をちらりと見て言った。

    「そう、人間相手の仕事がしちゃくなっちゃった?」

    −ああ、わかってくれる人もいるのだ。

    当時の私は、この何気ない台詞にどれだけ救われたことだろうか。
    この担当者は、疲れた私の顔を見て、わざと言ってくれたのかもしれない。
    今やそれを知る由もないが、私はこの担当者に感謝する気持ちでいっぱいだ。

    面接が終わり、折角なので、求人票のファイルをぱらぱらとめくってみた。
    不景気とはいえ、以前の仕事の延長なら、まだまだ多くの求人があった。

    −男ひとり生きていくことくらい、何とでもなるんだな。

    帰り道の足取りは軽かった。


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