エッセイ:リーダーの「器」とは何か(1)
リーダーの「器」とは何か
しばしば会社は「経営者の器以上に大きくはならない」といわれる。実際にはそうした“器”を見ることも触ることもできないにも関わらず、さまざまな場所で(居酒屋で?)語られているところをみると、かなりの普遍性をもった見解なのかもしれない。
それにしても、「経営者の器」とは一体何だろうか。それは、決断の大胆さを指すのだろうか。それとも、部下に仕事を任せられるだけの懐の大きさをいうのか。「そんなもの、真面目に考える方がどうかしている。学者はこれだから困る」と言われそうだが、こういう問いを持ち出す背景には、その手の話を聞くにつけ、「そういうあなたも、大した器の持ち主じゃない気がしますが…」と言いたくなることがしばしばだからである(これでも大人なので、口には出さない)。われわれの多くは、経営者ではないかもしれないが、それぞれの仕事を任されているという点では、立派な経営体の代表である。上層部を批判するのは簡単だが、何が器であるかすらわかっていない者があれこれ言うのはあまり美しいものではない。そこで本小論では、経営者を含む「リーダーがもつべき器とは何か」について、論を進めてみたい。
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リーダーシップの良否が、リーダーの特性に依拠するという考え方は、リーダーシップの特性論(trait theory)と呼ばれる。こうした研究は古くから盛んに行われてきたが、優れたリーダーに明確に結びつくパーソナリティ属性は同定できなかった。
こうして一度否定された特性論ではあるが、近年ではそれを新たな視点で捉え直す動きがみられる。変革型リーダーシップ、カリスマ的リーダーシップ、サーバントリーダーシップ、正真の(authentic)リーダーシップなどのコンセプトはいずれも、リーダーのもつある特性がリーダーシップの発揮に正の効果をもたらすことが想定されている。それは、特性論の否定以降、複雑になりすぎたリーダーシップの理論構築をあえて白紙に戻し、リーダーのもっている本質的な“何か”に再び光を当てようとするものであろう。
もっともその“何か”が具体的に何であるかが、今日においても明確になったわけではない。私論を交えればその根底にあるのはおそらく、どれだけ多くのステークホルダーのことを考えて意思決定ができるかという、リーダーの“徳”とでもいうものが関わっているに違いない。Barnard(1938)の主張するように、『組織の存続はリーダーシップの良否に依存し、その良否はそれの基礎にある道徳性の高さから生ずる』(C. I. Barnard(1938), The Functions of the Executive、 Harvard Business Press)のだとすれば、今日のリーダーシップ論は、「経営者の器」論と大差ない議論をしているのである。
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