エッセイ:リーダーの「器」とは何か(2)
誤った”器”
リーダーに求められている“器”とは何を指すのかを考えるために、これまで筆者が関わった社会人教育の経験をもとに、リーダーの誤った“器”を、整理してみたい。
ひとつめの誤りのパターンは、思考停止の類である。ビジネスパーソンに、マネジメント方針を示すようにとの課題を課すと、工程管理やスケジュール管理を持ってくる者がいて呆れることがある。工程管理やスケジュール管理が不要だというのではない。しかし、それ以前に必要なのは、「この組織はどこへ向かうのか」「なぜ、この作業が必要なのか」という組織の歩むべき道筋を正しく示すことである。方針不在の中で、「問題意識をもて」「ヤル気を出せ」と叫んだところで、それが部下の耳に入るはずはないのである。
上記に呼応するもうひとつのパターンは、“思考のダウンロード”と筆者が呼ぶものである。これは、「あれも必要、これも必要」と、総花的な方針(そもそも、こういうものは方針とは呼ばない)しか示すことができないビジネスパーソンの思考を指している。「これらの方針は、御社にとってなぜ必要なのですか」と尋ねてもあいまいな答えしか返ってこないのは、そうした方針の必要性を真に吟味せずに、どこかで見聞きした“良い意見”をただ寄せ集めているだけだからである。なかには「○○という本に書いてあったから」「△△大学の××先生が言っていたから」などと堂々と述べる者までいるが、こんなリーダーに付いていこうという部下は、余程の物好きというものだろう。
いずれのパターンも、自分自身の頭で考えることができていないことに由来している。自分で考えていないから根拠を示すことができない。根拠が示すことができないから、思い切った決断ができない。その結果、当たり障りのない総花的な方針が並べられたり、スケジュールだけを作って「最後は皆の合議で決めよう」などと民主的リーダーを気取るのである。こうしたリーダーは断じて民主的なのではない。決断ができないだけである。前回へ戻る/続きを読む