エッセイ:リーダーシップ論(1)
リーダーシップ談義にNOを言う
日本人は,リーダーシップという言葉が,とにかく好きなようだ.
しかし,その使い方は御都合主義にあふれている.リーダーシップの意味するところは,決断力であったり,統率力であったり,フォロワー(部下)への思いやりであったり,使用される文脈に合わせていかようにも変幻自在であり,リーダーを批判したい者にとってまさに格好の用語となっている.「あいつはリーダーシップがない」「もっと強いリーダーシップを発揮すべきだ」などと“正論”を繰り返しているテレビのコメンテーターたちの会話が,鬱憤晴らしをしているようにしか聞こえないのは,私だけであろうか.
わが国では,2011年3月に東日本大震災という未曽有の事態に直面し,当時の菅首相のリーダーシップが幾度も問題視された.世論調査では,大多数の人が首相のリーダーシップに否定的であったし,国会事故調査委員会も,「指揮官には,どのような状況下でも冷静沈着に思慮した上で,必要ならば重い決定でも躊躇なく判断し得る判断力,決断力,胆力及び覚悟が必須であり,それを深く自覚することが不可欠である」(報告書,329頁)と評している.私には首相を擁護するつもりはないが,リーダーシップやリーダー批判ばかりを持ち出す者には,こう尋ね返したい.では,首相とは正反対の「リーダーシップをバリバリ発揮した対応」とは,具体的にどのような言動を指すのか.あらゆるところに気を配りつつ,最後は即決して一気に物事を進めることか.そのようなことをすれば今度は,「あれじゃ独裁者だ」「慎重さが足りない」「専門家の意見にはもっと耳を傾けるべきだ」と評したのではあるまいか.
われわれは,リーダーに期待しすぎているのである.マニュアルが役に立たない緊急事態で,混乱もせず,機転を利かせて柔軟に乗り切っていける能力をもち,またその方針に全ての国民が納得できる素晴らしい知恵を兼ね備えたスーパーマンなど,この世にいるはずもないだろう.自分勝手な理想的リーダーを思い描いておきながら,一方で何かに躓けば「やっぱり,リーダーシップがない」などという,用語の意味すらもよくわかっていない言葉で批判し,「首相は早く代われ」だの,「一日でもいいから避難所で過ごしてみれば,被災者の気持ちがわかる」などと騒ぐ人間たちの方が,はるかに“フォロワー失格”だと言えないだろうか.
震災を経験し,原発安全神話は崩れ去ったが,“リーダーシップ神話”は,今も揺らいでいないように思える.リーダーに対する過度な期待は,「リーダーシップとは何であるか」について突き詰めて考えようともしない私たちの“ゆるい思考”に由来する.私たちに必要なものは理性であり,正しい理解である.今回のシリーズでは,この「リーダーシップとは何か」について考えていくものとしたい.続きを読む