エッセイ:サービス化する経済でメーカーの存在意義を問い正す(1)
はじめに
大学の教員という仕事柄,若者と触れ合う機会が多いが,彼らの消費のあり方は私が若い頃と比べると大きく様変わりした.バブルを経験した私の学生時代は,グッチやエルメスのバッグを見せつける者ばかりいてうんざりしたものであるが,今の学生はノーブランドのリュックを背負ってキャンパスにやってくる.食費は相変わらずきつそうだが,通信やゲーム,サブスクリプションに使うお金は惜しまない.流行に乗り遅れないために,トレンディドラマ(というカテゴリが当時あった)を観て代理学習(?)したことも,今や昔である.今は流行を抑えるならSNSの方が正確だというし,インターネットで十分だからとテレビ機器をもっていない者も少なくない.
この若者の「所有離れ」という現象は,経済活動の主体がモノづくりからサービスに変化したことを見事に物語っている.我が国の製造業の代表格たる自動車産業とてそれは例外ではない.私が大学生だった頃は,車といえば好きな子をデートに誘うための道具だったが,今の若者はそのような見栄をほとんど持ちあわせていない.車を移動の手段と割り切るので所有する必要などないと考える.そのうち,自動運転技術でデートスポットまで運んでくれるようになれば,移動時間もデートを楽しみたいということになるだろう.そうなれば,車の機能的差別化は燃費や乗り心地ではなく,デートを演出するための空間づくりになる.さらに,電動化の進展によって自動車を構成する部品数が劇的に減り,マニアックな人はパソコンと同じように自分で車の組立やカスタマイズができるようになるだろう.家電量販店の店頭ではノーブランドの車が並び始め,日本のもつ緻密な製造技術は急速にその意義を失う.さまざまなことを勘案すれば,国内自動車製造業の経済規模は半分くらいにまで縮むことは十分に想定できる.その代わり台頭するのが,移動そのものに価値を生み出そうとするさまざまなサービス業である.この変化に正しく対応できる自動車メーカーなど,国内にあるのだろうか.
MaaS,CASEは,こうした大きな変化を表す言葉として瞬く間に広まった.今や自動車産業に関わる者で聞いたことがない人はいないはずである.しかし,こうした変化が予見されながらも,かつてものづくりで成功を収めた我が国のメーカーたちは,「良いものを作れば成功するはずだ」という信念を捨て去ることができない.技術者のマインドよりも早く変化する社会の中で私たちは今,何の変化を遂げなければならないのか.本稿ではメーカーで技術者出身の筆者がそれを解説したい.続きを読む