エッセイ:退職します(5)
「退職します」
私の名刺は、技術者のなかでも早く無くなっていく方である。
LSI開発という仕事柄、社外の人と仕事をする機会が多くあった。開発納期(業界用語でサインインという)の間際になると、まさに社内外という関係を超えて、渾然一体となって深夜まで仕事を共にした(ちなみに、私は仕事を発注する立場である)。ある意味、職場の人間関係より密になることもしばしばだった。
退職2週間前くらいになると、私はお世話になった各社の担当者へ、会社を辞める旨の連絡を入れた。これもまた、反応は様々だ。あっさりと事務的に処理するところもあれば、わざわざ挨拶にきてお世話になったお礼にと記念品をもってきてくれたり、食事をご馳走になったりもした(もちろん会社のお金だけど)。なかには、
「実は私、昔はツアーコンダクターになりたくてね。でも、結婚しちゃって、なかなかそうもいかなくてね。」
と、尋ねてもいないのに、身の上話を打ち明ける者までいた。
心に詰まったものを、誰もが抱えて生きているのだ。私はそうした人生に敬意を払う気持ちにならずにはいられなかった。
◆
職場でも変化が起きていた。
退職することを、心から支持してくれる人。どこか、否定的で急に冷たくなった人。反応が二手に別れた。意外だったのは、これまで冷徹だとばかり思っていた上司が、
「私も若い頃に転職してね。あの頃は大変だった。何度でもやり直しがきくさ。とにかく、元気で頑張って欲しい。」
と、わざわざ周囲からカンパを募って、贈り物を用意してくれたのが印象的だった。人は態度だけみて判断しちゃいけないと痛感した。
退職の数日前になると、所属していた課で送別会を開いてくれた。ずっと、薄っぺらい人間関係と思っていたのに、いざとなると別れるのがつらかった。最後に挨拶をしている最中、自然に涙が止まらなくなった。人前で涙をこぼすなんて、自分じゃないようだった。でも、何だか周囲に感謝する気持ちでいっぱいだった。不思議だった。
前回へ戻る/続きを読む