エッセイ:リーダーの「器」とは何か(5)
「疑う力」の育成
論理的思考とはいわば考えるための筋肉のようなものであり、日頃の訓練によって鍛えることができる。なかでも重要なことは、さまざまな考え方や意見に対し、疑いをもつ癖を絶やさないことである(余談であるが、筆者は教育現場において、一貫して理論の疑い方を教えている。それほどまでに世の中にはエセ理論や、それを撒き散らすエセ学者が多いからである)。
人はある考え方を一度信じ込んでしまうと、そこから離れて考えることがなかなかできない。良くある例であるが、専門家の理論や見解を知ると、それがいわば思考の基準点となってしまい、現象がそれにあてあまるか否か、という観点からしか物事を見ることができなくなってしまう。仮に予想とは異なった情報が与えられたとしても、それは例外として捉えられてしまうこうした偏向は、確証バイアス(confirmation bias)と呼ばれる。確たる根拠がないにも関わらず未だに信じられている血液型性格占いの類は、この確証バイアスのなせる業である。
さらに私たちは、理論の有名さにも踊らされる。ある特徴が優れていれば、他の特徴も優れているだろうと考えてしまうことは、後光効果(halo effect)に基づくものである。たとえば筆者が、マズローの欲求階層説は労働現場では当てはまりが悪いのであまり信用しないようにと述べると、それを聞いた者から「大学の先生がそんなこと言っていいんですか」と言われる始末である。実証結果をもって説明しても信じようとしない。「だって、マズローの理論は、みんなが知っている有名なものだもの」というわけである。
真偽を確かめもせずに“思考のダウンロード”をする者は、最近では学者の中にも増えており、その意味では、最新の経営理論であっても(最新といっても、筆者に言わせればその大半は、どこかの理論の焼き直しである)半分程度は間違っていると思うくらいでちょうど良い。何よりも大切なことは、自分の頭で考えることを放棄しないことである。それは、全てを事実と論理のみによって整理し直すことを意味する。最初は訓練を要するかもしれないが、慣れてくれば本物の理論かエセ理論かの区別は、容易につくようになるだろう。
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学者もあてにならないのだとすれば、では一体誰が論理を作るのか。それはあなたである。現場にいるあなたの方が、学者よりもはるかに豊富な情報を握っている。「うちのトップは、器が小さい」などと情緒的な意見を述べる前に、まずはあなた自身の論理的思考を鍛えること。これしかない。あなたが論理的な問いかけをしないから、あなたの周囲の人間は論理的に考えようとしないのである。論理的に反論してくる部下をもつリーダーは幸いである。その部下は、あなたから多くのものを学び取っているに違いない。またあなたであれば、論理が通用すると信用しているのだろう。
今一度考えてもらいたい。あなたは、自分の会社の真の問題をどれだけの確かさをもって探し当てられるだろうか。そしてそれを部下あるいは上司に、どれだけの論理性をもって説明できるだろうか。
プロフェッショナル・マネジメントという最高の芸術は、“本当の事実”をそれ以外のものから“嗅ぎ分ける”能力と、さらには現在自分の手もとにあるものが、“揺るがすことができない事実”であることを確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法さをもそなえていることを要求する。(H.ジェニーン (2004)『プロフェッショナルマネジャー』プレジデント社)あなたの会社の「経営者の器」は、あなたが言うように、本当に小さいのかもしれない。しかし、経営者の器を小さくさせているのは、「あなた自身の器」の小ささかもしれないのである。前回へ戻る/最初から読む
※著作権は,犬塚が有しています.出典表記は,下記を参考にお願いいたします.
犬塚篤「次世代リーダーの育成:リーダーの「器」とは何か」経営コンサルティング協会, 2010.12-2011.1
(http://www.keicon.co.jp/sv/7_young/serialization_IA.pdf)