エッセイ:リーダーシップ論(3)
リーダーシップ理論は,なぜ役に立たないのか
大学で「リーダーシップ論」などを教えていると,企業やサークルで,リーダーシップを発揮できる人間になりたいのでこの講義を受講したい,とやってくる学生によく遭遇する.
それだけが目的なら受講はおやめなさい,と私は伝える.無論,リーダーシップには幾つかの理論があり,それらはどのようなリーダーシップ・スタイルが適切かを教えてくれる.たとえば,リーダーシップ論には,二次元論という古典的な考え方があり,「構造づくり」(フォロワーの仕事を明確化しようとする行為)と「配慮」(フォロワーとの信頼関係を獲得する行為)という行動特性が共に高い者をリーダーにもつ集団で,概ね業績が高くなることがわかっている.しかし,こうした事実を教訓に,リーダーシップをハウツーで発揮しようとすると大失敗する.
たとえば,普段はフォロワーに厳しいリーダーが,自らの「配慮」が足りないことを認識し,周囲に対して急に優しく接し始めようものなら,フォロワーらはたちまちその“演技”を見抜くであろう.あるいは,「急に優しくなったのには,何か裏があるのだろう.面倒な仕事が降ってくる前触れか.それとも左遷か?」などと勘ぐられるのがオチかもしれない.リーダーシップは,リーダー自身の性格(キャラクター)を外れて発揮できるものではない.だから,手っ取り早くリーダーになりたいという者に,上っ面のリーダーシップ教育を施しても何の効果ももたない.
それに,ハウツーは常に有効でもない.平時は,リーダーとして優れた統率力を発揮していたパイロットも,飛行機が墜落し,安全への道を見出すという場面に直面した場合には,最も不適切なリーダーということがあり得る.どのようなリーダーシップ行動が効果的であるかは,リーダーを取り巻く状況によって異なると考えるのが自然である.このような考え方は,リーダーシップの条件適合理論と呼ばれ,幾つかの理論やモデルが開発されてきたが,残念なことに問題点が多い.その詳細は,『リーディングス 組織経営』(岡山大学出版会)に書いたのでそちらをご覧いただきたいが,あらゆる状況に普遍的に有効なリーダーシップ・スタイルは存在しないという警告は,今日救い難いほど「答え」を求めてしまう日本人が,こころに留めておくべきことには違いない.
リーダーシップ理論が教えることは指針にはなるが,総論にすぎない.あらゆる状況を網羅し,どんな人でも必ず使える「リーダーシップのノウハウ集」を作ろうとすればきっと何万ページにもなるだろうし,何かあるごとに「ノウハウ集」をめくっているリーダーの姿を,フォロワーたちはどんな気持ちで眺めていろというのか.リーダーシップ理論とは,大まかなプランを示してくれる旅行ガイドのようなものだと考えるべきである.現地に着いたなら,自分で判断して行動するしかない.
リーダーシップは,真似るものではない.自ら開発するものである.前回へ戻る/続きを読む